猫の胸腺腫に対する胸腔鏡下摘出術という選択肢|低侵襲手術で愛猫の負担を軽減

はじめに

愛猫の胸に腫瘍が見つかったとき、多くの飼い主様は大きな不安を感じられることでしょう。特に「胸腺腫」と診断された場合、従来は大きく胸を開く開胸手術が必要とされてきました。しかし近年、胸腔鏡下摘出術という低侵襲な手術方法が注目を集めています。

この記事では、猫の胸腺腫に対する胸腔鏡下摘出術について、その可能性とメリットを詳しく解説します。


胸腺腫とは?

胸腺の役割

胸腺は、前胸部(胸の前方、心臓の近く)に位置する小さな臓器です。主に若い動物において、免疫システムの発達に重要な役割を果たしています。具体的には、T細胞と呼ばれる免疫細胞を成熟させる場所として機能しています。

胸腺腫という病気

胸腺腫は、この胸腺組織から発生する腫瘍です。猫では比較的稀な腫瘍ですが、高齢猫(特に10歳以上)で発生しやすい傾向があります。

胸腺腫の特徴:

  • 前胸部に発生する腫瘍
  • 多くの場合、ゆっくりと成長する
  • 良性のものもあれば、悪性(胸腺癌)のものもある
  • 周囲の臓器(心臓、大血管、肺など)を圧迫することがある

随伴症候群について

胸腺腫の厄介な点は、腫瘍そのものだけでなく、随伴症候群(paraneoplastic syndrome)を引き起こす可能性があることです。

主な随伴症候群:

  • 重症筋無力症(Myasthenia Gravis):筋力低下、嚥下困難、巨大食道症などを引き起こす
  • 剥脱性皮膚炎:皮膚の炎症や脱毛
  • 免疫介在性疾患:貧血、血小板減少症など

これらの随伴症候群は、腫瘍を摘出することで改善する可能性があります。


胸腺腫の症状

胸腺腫は初期には無症状のことも多く、健康診断のレントゲン検査で偶然発見されることもあります。腫瘍が大きくなるにつれて、以下のような症状が現れることがあります:

  • 呼吸困難:腫瘍が気管や肺を圧迫することによる
  • 食欲不振、体重減少
  • 嚥下困難:重症筋無力症を伴う場合
  • 元気消失
  • 胸水の貯留:呼吸がさらに苦しくなる

これらの症状が見られた場合は、速やかに動物病院を受診することが重要です。


診断の重要性

胸腺腫の治療を成功させるためには、正確な診断が何よりも大切です。

診断の流れ

1. 胸部レントゲン検査

  • 前胸部の腫瘤の有無を確認
  • 胸水の有無をチェック
  • 肺や心臓への影響を評価

2. 血液検査

  • 全身状態の評価
  • 随伴症候群(重症筋無力症など)のスクリーニング
  • 抗アセチルコリン受容体抗体の測定(重症筋無力症の診断)
  • 腫瘍マーカーの確認

3. CT検査(推奨)

CT検査は、手術計画を立てる上で非常に重要です:

  • 腫瘍の正確な位置とサイズを把握
  • 周囲の血管や臓器との関係を3次元的に評価
  • 転移の有無を確認
  • 胸腔鏡手術が可能かどうかの判断材料となる

4. 細胞診・組織生検(必要に応じて)

  • 腫瘍の種類を確定診断
  • 悪性度の評価

切除可能な胸腺腫と切除困難な胸腺腫

すべての胸腺腫が手術で切除できるわけではありません。切除可能性は、以下の要因によって判断されます:

切除可能な胸腺腫の特徴

  • 腫瘍が比較的小さい
  • 周囲の重要な血管や臓器に強く癒着していない
  • 被膜に包まれており、境界が明瞭
  • 遠隔転移がない
  • 患者(猫)の全身状態が良好で、麻酔に耐えられる

切除困難な胸腺腫の特徴

  • 腫瘍が非常に大きい
  • 大血管(大動脈、大静脈など)に浸潤している
  • 心臓や肺に広範囲に癒着・浸潤している
  • 遠隔転移が認められる
  • 患者の全身状態が悪く、麻酔リスクが高い

重要なポイント: CT検査による詳細な評価が、切除可能性の判断に不可欠です。経験豊富な外科医による術前評価も重要となります。


従来の開胸手術と胸腔鏡下手術の比較

従来の開胸手術

従来、胸腺腫の摘出には開胸手術が標準的な方法でした。

開胸手術の特徴:

  • 胸壁を大きく切開(通常10〜15cm以上)
  • 肋骨の間を広げるか、場合によっては肋骨を切断
  • 直接視野で腫瘍を確認しながら摘出
  • 術後の痛みが強い
  • 入院期間が長い(通常5〜10日間)
  • 回復に時間がかかる

胸腔鏡下摘出術(低侵襲手術)

近年、獣医療においても胸腔鏡下胸腺腫摘出術の可能性が提案され、実施例が報告されるようになってきました。

胸腔鏡下手術の特徴:

  • わずか3〜5mmの小さな穴を3ヶ所あけるだけ
  • 特殊なカメラ(胸腔鏡)で胸腔内を観察
  • 拡大された鮮明な映像を見ながら手術
  • 専用の繊細な器具を使用して腫瘍を摘出
  • 術後の痛みが少ない
  • 回復が早い(早期退院が可能)
  • 体への負担が最小限

胸腔鏡下胸腺腫摘出術のメリット

1. 身体的負担の軽減

  • 切開創が小さいため、術後の痛みが大幅に軽減されます
  • 高齢猫や体力の落ちた猫でも手術が可能な場合があります

2. 回復の早さ

  • 早期に食欲が戻りやすい
  • 入院期間が短縮できる(症例によっては1〜3日程度)
  • 日常生活への復帰が早い

3. 合併症のリスク低減

  • 感染リスクが低い
  • 出血量が少ない
  • 術後の呼吸機能への影響が少ない

胸腔鏡下手術の実際

手術の流れ

術前準備

  1. 全身麻酔
  2. 適切な体位の設定(多くの場合、横臥位)
  3. 手術部位の消毒

手術手順

  1. ポート挿入:3〜5mmの小さな切開を3ヶ所作成
    • カメラ用のポート:1ヶ所
    • 手術器具用のポート:2ヶ所
  2. 胸腔内の観察:胸腔鏡を挿入し、腫瘍の位置や周囲組織との関係を確認
  3. 腫瘍の剥離:専用の器具を使用して、周囲組織から慎重に腫瘍を剥離
  4. 血管処理:腫瘍に栄養を送る血管を適切に処理
  5. 腫瘍の摘出:必要に応じてポート部分を少し拡大し、腫瘍を取り出す
  6. 止血確認と閉創:出血がないことを確認し、ポートを閉じる

手術時間

症例により異なりますが、通常1〜2時間程度です。


胸腔鏡下手術の適応と制限

適応となる症例

  • 腫瘍のサイズが比較的小さい〜中程度
  • 周囲組織への浸潤が軽度
  • 被膜に包まれた腫瘍
  • 全身状態が良好

胸腔鏡では困難な症例

  • 非常に大きな腫瘍
  • 周囲組織に広範囲に癒着・浸潤している
  • 大血管に強く癒着している
  • 術中の所見により、開胸手術への移行が必要と判断された場合

重要: 胸腔鏡手術を開始しても、安全性を最優先するため、状況に応じて開胸手術に移行する場合があります。これは患者の安全を守るための重要な判断です。


術後の管理とケア

入院期間

  • 胸腔鏡下手術の場合:通常1〜3日程度(場合による)
  • 開胸手術の場合:通常5〜10日程度(場合による)

術後のケアのポイント

1. 疼痛管理

  • 適切な鎮痛薬の投与
  • 胸腔鏡手術では痛みが少ないため、鎮痛薬の使用量も少なくて済む

2. 呼吸状態の監視

  • 術後数日間は呼吸状態を注意深く観察
  • 必要に応じて酸素投与

3. 創部のケア

  • エリザベスカラーの装着(傷を舐めないように)
  • 感染予防

4. 栄養管理

  • 早期からの食事再開
  • 食欲不振がある場合は、給餌補助や輸液

5. 随伴症候群の管理

  • 重症筋無力症などの随伴症候群がある場合、腫瘍摘出後も継続的な治療が必要な場合があります

予後について

胸腺腫の予後は、以下の要因によって大きく異なります:

良好な予後が期待できる場合

  • 腫瘍の完全切除が可能だった
  • 良性の胸腺腫(悪性度が低い)
  • 随伴症候群が軽度、または腫瘍摘出後に改善
  • 転移がない

慎重な経過観察が必要な場合

  • 腫瘍の一部が残存した
  • 悪性度が高い(胸腺癌)
  • 随伴症候群が重度で持続する
  • 再発や転移のリスクがある

一般的な予後: 完全切除ができた良性胸腺腫の場合、多くの猫で長期生存が期待できます。一方、悪性度が高い場合や不完全切除の場合は、追加治療(放射線療法、化学療法)が必要になることもあります。


費用について

胸腔鏡下胸腺腫摘出術の費用は、以下の要因によって変動します:

  • 術前検査の内容(CT検査を含むか)
  • 手術の難易度
  • 入院日数
  • 術後の治療内容
  • 施設によって異なる


まとめ

猫の胸腺腫は、前胸部に発生する腫瘍で、随伴症候群を引き起こす可能性がある重要な疾患です。従来は開胸手術による摘出が標準的でしたが、近年では胸腔鏡下摘出術という低侵襲な選択肢が注目されています。

胸腔鏡下手術の主なメリット:

  • わずか3〜5mmの小さな穴3ヶ所で手術が可能
  • 術後の痛みが少ない
  • 回復が早く、早期退院が可能
  • 体への負担が最小限

ただし、すべての症例が胸腔鏡手術の対象となるわけではありません。正確な診断(特にCT検査)と、経験豊富な外科医による慎重な評価が不可欠です。

愛猫が胸腺腫と診断された場合、あるいは胸部の異常を指摘された場合は、胸腔鏡手術の経験が豊富な獣医師にご相談されることをおすすめします。


胸腺腫の胸腔鏡下摘出術をご検討の飼い主様へ

当院では、犬猫の胸腔鏡手術を専門とし、多数の症例経験を有しています。胸腺腫に対する胸腔鏡下摘出術についても、豊富な実績がございます。

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